2013年5月5日日曜日

台湾のみなさんへの手紙

今日からこの日記はスマホからの更新でいくことにした。
スマホ上で、Googieアカウント全ての更新作業が出来るようになった。
最近日記が滞ってたのでこれを期にアクセルを踏みこんでいきたい°

TIME TO BECTLEのプロモーションとしては、
YoutubeやFacebook、ニコ動などで動かしているのだが、
なかなか試聴率が伸びず、悪戦苦闘の毎日である。

そういえばさっき、ニュース記事で、「台湾の人たちの、東日本大震災への手厚い支援」
についての記事を見た。
確かに俺たちは、台湾の人たちへの感謝の気持ちを忘れてはいけない。
どうでもいいが、俺がFacebookを始めてまもない時、台湾の人たちは、
日本のどこの馬の骨とも分からない俺の曲、俺のページを進んで受け入れてくれた。
こんな身近な場面でも、台湾の人たちはいつも温かい。

そんな人たちに俺は何ができるだろうかと考えた。
Facebook上で台湾の人たちだけ特別に俺の楽曲を無料でダウンロード
できるようにしたい!!

それが無理でも、何か特別なプレゼントをしようと考えている。

2013年4月1日月曜日

何せ本業が忙しい。

楽曲配信において、やりたいことが山ほどあるのに、
ついつい時間のせいにしてしまう。だめだ、この傾向は。。

とにかく、まずは楽曲を色んな人に聴いてもらえる土壌を作ること。
売るのはそれからだ。

2013年3月26日火曜日

世界に発信する

超アナログ人間な俺は、youtubeやフェイスブックと日々格闘している。
次の目標は動画内で流れる歌詞に翻訳文を載せることである。
世界中の人たちに、少しでも歌の意味を理解してもらいたいと思う。


2013年3月16日土曜日

ここ数週間、time to bectleは様々なネットでのプロモーションの可能性を探り、
アプローチをかけている。
youtube、soundcloud、facebookなどなど。徐々に網を張っているのだが、
問題はここからどうやって集客に繋げるかといったところか。

近日、アルバム「追葬」の最終マスタリングが完了し、同時に、CDBabyへのディストリビューション
契約を取る。その後iTunesへ配信といったスケジュールとなるが、それまでにはある程度の
プロモート結果が得られるよう頑張る。

しかしfacebookの設定の仕方に四苦八苦し、結局6時間かかってやっと「土俵」に乗っかることが
できた。「土俵」に乗っかっただけだが。

2013年3月4日月曜日

やっとここまで・・・

3月4日の公開に間に合った。
以前よりお世話になっている「audio reaf」からまずは第1弾として3曲公開した。

●消失した俺の”エイチ・ピー”

●暮らし始めた

●埃 -鍵盤と指が出会った日-

2013年2月18日月曜日

方やマスタリング、方やラフイメージ

曲のミックスダウン、そしてマスタリングが中心作業となってきた。
だが、実はまだ曲の骨格すら出来上がっていないものがあり、気がかりである。
「気がかり」という表現はおかしいのかもしれないが、こればかりは何らかのアイデアが
出てくるまで、考えるしかない。

youtubeアップ用の動画制作も同時進行でやっているところ。
夜間の限られた時間は、集中力との闘いであるが、今のところ負けている。

2013年2月13日水曜日

録り直しか

歌録りも順調にいったかと思いきや、数曲、録り直しをしなくてはいけない。
録ったあとは出来ればそのままの状態でミックスに持っていきたいところだが、
やはりそう甘くはなかった。
イコライザーで各帯域の削りなどの処置をしないと、楽曲になじまない。
「埃」という曲に関しては歌い方から直さないと、曲が持っている繊細さを
表現し切れない。難問だ。

レコーディングの場所は、結局、まちの第3セクターの類の多目的ビルの中にある
練習スタジオで録った。ここでは思いのほかのびのび歌えたので満足。また使おう。
最初からここで録ればよかったとつくづく後悔の念に駆られる。

公開まであと1ヶ月を切っている。
あと少し、頑張ろう。

2013年1月30日水曜日

人生

何気なく地元の情報誌を見ていると、昔の知り合いが結婚していた。
その昔の知り合いとは、俺よりも随分年下の人で、昔は小僧だったのが
こんなに成長していることに驚いた。

地元の情報誌はこんな風に度々俺を驚かせてくれる。
あんなに小さかったのに、今では俺よりもずいぶんと立派になっている。

それに比べ・・・いちいち比べたくはないが、俺の人生とは何なのかと
考えることもある。
他人の人生と比べるなんて情けない限りだ。
こうやってシコシコとトラック波形とにらめっこしている今の自分。
でも俺はこれが幸せなんだよな。
新しい曲が出来て、それをヘッドホンから聴くときのわくわくや、
新しいメロディや詞が浮かんできたときの高揚感も。
これだって立派な幸せの一つであり、人生の一ページでもあり、
なににも、誰にも、替えられない俺の人生だ。


何故か急に物悲しくなった時、いつもそういう風に考えている。

2013年1月29日火曜日

マスタリング

今日はマスタリングについて、あれこれ試行錯誤していた。
実はまだ歌入れもしていない段階で、全体的な曲のモニタリングをやっている。
ミックスダウンした後の音が、スピーカーやヘッドホンでどんな風に聴こえるのか
非常に気になってしまう。

今回各曲は、だいたい10個から15個のトラックに分かれている。
ドラムやベースやギターや、ボーカルやストリングスや打楽器系など、色々である。
それぞれをイコライザーやコンプを使って調整し、音量・音質など各トラックが丁度
いいように調整し、それをステレオ2ミックス(2つのトラックにまとめる)にする。

ここからが悩みどころで、この2ミックスの音圧をさらに上げるために、リミッターや
トータルコンプをかけて調整し、市販のCD並みの音圧・音量に上げるのが、多分
通例なのだが、これがなかなか難しい。

最低限、5年前に作った曲の音圧・音量レベルには達したいところだが、これすら
クリアが微妙である。

かなりハイテクなリミッターを見つけて使ってみたが、音にメリハリがなくなってしまう。
波形を詰めてしまうと、やはり原曲の質感やグルーヴは失われてしまう。
だから極限まで音量を上げて、あとは各トラックでのコンプ調整となるだろう。
DAW上の原曲のグルーヴや質感は絶対壊したくない。多少音量が落ち気味でも、この質感を
維持しつつ、イコライザーやコンプで調整するしかないか。

音圧があったほうが、いい曲に聴こえるなんて言葉に騙されて、色々思案していたが、
考え方を改める。

レコーディングデータで聴こえてくる質感を一番大切にする。



2013年1月26日土曜日

「もの作り」とはなんなのか

俺は今、生活していくために「音楽」とは別の仕事をしている。
一種のサービス業の部類に入ると思われる。
仕事柄、色々な人たちと出会うため、人間観察が出来るという点では
得をしているか。

当たり前だが、一人として同じ人間はいない。
おそらく、突き詰めれば種類分けすらできないだろう。

「○○職人」とか、「○○家」と呼ばれる人と関わることも多い。
その人たちは一貫して「シャイ」だが、やはり10人いれば10人分の
世界が枝分かれする。今回はそんな人たちの話。

俺は時としてその筋の人たちの世話というか、サポートをする側の
仕事をする。それはナントカ大会とか、その類に出場する家側の事務局的な
役割である。
毎年開かれる某大会だったが、今年は節目の年と相成り、賞金がもらえる大会と
なったのだが、参加者が跳ね上がったのである。

俺が納得いかなかったのが、作品製作後~表彰式のあいだである。
作品はしばらくの間、会場の客への展示物として、また、おまつりを盛り上げるための
展示物として飾られる。

彼らはものを作り終えるとすぐさまホテルに戻る。
3日後の表彰式まで一切会場にはこない。
そして、けっこうな降雪があり、作品が雪に埋もれても、誰一人として雪をほろいには
来なかった。

何が言いたいのか、それは、
「彼らは、来場者に自分の作品を見てもらいたいという気持ちは微塵もない。」
それどころか、
「彼らのもの作りは、ただただ、賞金を目当てにしたもの」
さらに言うと、
「彼らは自分の作品になど愛情を感じてはいない。」


会場内の作品を一つずつ見て歩きながら思いに耽っていたら、この展示会場、
この空間が、たちまちくだらないと思えてくる。なにか「決して正体を現さない
ずうずうしさ」が作品から漂ってきて、どうにもならない怒りを覚えた。

なんの為にものを作るのか。
どんな場所でものを作るのか。
誰の為にものを作るのか。

間違ったプライドやポリシーを持っているなら、ものを作る資格はない。





2013年1月20日日曜日

最近は出来た曲の弾き直しやミキシング、イコライザーでの調整をしている。
繰り返しよく聴いてみると変なところが多々ある。音と音がぶつかり合っている部分とか、
直すべき箇所はしっかりと直していきたい。

アルバムの発表を3月4日に決めたが、果たして間に合うだろうか。
いや、間に合わせなきゃいかんな。
アルバムのジャケットなどもまだカミングスーンの状態である。
動画作成も手をつけてられていない。こうやってブログを書いている間にも時間は
過ぎていく。とにかく頑張ろう。


2013年1月9日水曜日

「埃-鍵盤と指が出会った日-」の全ての楽器の録りが終わった。
あとはボーカルを録った後、最終調整をする。

歌録りはラブホテルに泊り込みで・・・と前回意気込んだが、
どうやら市内に音楽スタジオが存在しているとの情報を得て、
色々探っていると、、

「ライブハウス&練習スタジオ」のレンタルをしている店を見つけた。
ラブホテルはやめて、このスタジオで録ることに決めた。
きっとラブホの室内より音の返りとか100倍違うだろうなと胸を弾ませる。
そもそもラブホテルに機材を持ち込むなんてどうかしてるかもしれん。
切羽詰まった人間は、何を考えだすかわからないという典型例だ。

2013年1月7日月曜日

マイク機材が続々到着した。

あと一つ、ミキサーとオーディオインターフェイスを繋ぐラインケーブルが届けば、
ボーカルレコーディングが可能となる。

やっと、ここまで戻ってこれたか・・・


もう一息、頑張ろう。

2013年1月4日金曜日

am4:30、
「埃 -鍵盤と指が出会った日-」のラフイメージがだいぶ出来てきた。
基本的な曲の雰囲気は決まりつつあるので、それをもとに今日は随分作業を進めた。
気が付けばもうこんな時間。寝なければ。

しかし毎日毎日シコシコこんな作業を一人で続けていると気が狂ってくるな・・・
3月4日の発表までにはやらねばならん事が山ほどある。もちろんアルバム自体の
完成も早ければ早いほどいいのだが、テンポ良く作業を進めるのは物理的になかなか
厳しい。まあ、弱音を吐くのはこのくらいにしておこう。

ボーカルレコーディングの場所を固めた。隣町のラブホテルに泊り込みで録る。
もうこれしかない。前にも書いたが、俺の住んでいる街には、満足に録音できる場所が
ないのである。ホテルで録音なんてほんとにいいのだろうか、、いや、大丈夫だろうと
自分に言い聞かせながら、まずは全曲歌録りができる状態までもっていこうと思う。
ほんと、いい歳こいて何をやってんだかと思ったが、せっかく1年かけて作り込んだ
アルバム。とことん棘の道を歩き、そして曲たちにひのめをみさせてあげたい。

2013年1月3日木曜日

正月のゆったりした時間を味わうのも束の間、曲作りは休まない。
そして12月の暮れには、新たなコンデンサーマイクなどを注文した。
経済的な事情もあり、オーディオテクニカのエントリーユーザー向けの
マイクに留めておいたが、調整次第ではいい武器になるだろうと思っている。

昔から周辺機器に関しては、「高級素材」よりも、「これからそこに魂が宿るかどうか」を
判断基準にして、ギターにしろ、ミキサーにしろ、選び決めてきた。
だが、何を以って魂が宿ったかを分析しろと言われたら、ちょっとわからないのだが、
ほんと、所謂「感覚」というモノサシが作用するんじゃないかと思う。
こういうのは説明がしにくいが、素でそんな感じの選び方をしている。

よく俺が言われるのは、「合理的じゃない」とか「効率が悪い」といった言葉だが、
曲作りにそれを求めるのは絶対に避けたいと思っている。
何のために音楽を作っているのか、それを考えたら、俺は進んで回り道をする。
とことんドツボに嵌まる。

だいぶ説明臭くなってしまったので話題を変える。

昨日も書いたのだが、美輪明宏のあの歌が頭から離れない。
近年の音楽たちにいきなりのドロップキックを食らわせたような、そんな力があった
ような気がする。
美輪明宏の人間性について、俺はあまり知識がないので偉そうなことを書く資格は
ないのだが、スピリチュアルなんとかとか、江原なんとかとの番組をやっていた時は
正直なところ好きくなかった。
だが彼の音楽は好きだ。歌っているときの彼は好きだ。後で知ったのだが何しろ、
歌うときだけは「男」になり、必ずイッセイミヤケのスーツを着用して舞台にあがる。
ステージでの装飾は一切なし。そんなポリシーなのか設定なのかわからないが、
不言実行にて「歌とはこうあれ」「歌手とはこうあれ」を体現しているような、堂々たる
ステージだ。
そして77歳にしてあの声量・声質・表現力。
12月31日の午後10時半頃、完全に時間が止まったように感じたのは、俺だけじゃ
ないはず。







2013年1月2日水曜日

ヨイトマケの唄

しかし2012年の紅白歌合戦、今回は最初から最後まで全歌手の歌を聴いた。
印象に残ったのはこの一曲のみ。

美輪明宏 「ヨイトマケの唄」

彼の人間性や、過去のあやまちをすべて抜きにして、この曲、この歌手に賛美を送る。

と同時に、勉強になった。