2014年3月17日月曜日

暮らし始めた

この春、TIME TO BECTLEは遂にニューアルバム「追葬」を売り出す。
アメリカのディストリビューターCDbabyさんにまたしてもお世話になる予定。
iTunes store、amazonMP3、facebookなどで販売されるのではないだろうか。

あぁ、そういえばまだジャケットデザインを決めていなかった。

今回はすでに公開している曲も含めて全14曲のラインナップ。
レコーディングの状況はこのブログの最下層あたりを読むとわかる。

思えばこのアルバムを着想し、レコーディングに取り掛かっていたあの時期は、
非常にエキサイティングな日々であったと思う。

ラブホテルで歌録りをやろうとしたり(結局やらなかったが)、そんな事を考えた時は、
本当に、頭が狂ってしまったかと思ったが、何とかここまでこぎ着けた。


誰にも教わらず、半ばひきこもりのような人生の中で、こんな曲たちに出会えてよかった。

こんな曲たちが、一人でもいい、誰かの耳に聴こえていたら、嬉しいよな。

曲は全般的に暗い。暗いからこそ、見つかる光がある。

曲が出来るたび、いつもそんな風に考えるようにしている。

その光が、誰かの生きる力になれればいいと思う。




2014年3月2日日曜日

あれから23年

母親の命日法要で、実家に帰る。
23年前の3月4日、42才の若さで旅立った母親のその当時の記憶が、まるで昨日起きた出来事のように、家族の各人から語られた。

おそらく誰も見ていないこのブログに、俺自身が忘れないように備忘録として記しておく。

3人目の俺を生んだ後から、腰が酷く痛み出し、原因不明の血圧異常に苦しめられていた。
その5年後、やっと検査を受けるに至るまで、俺たち家族に心配をかけさせまいと、いつも
気丈に振舞っていた。
だが、日に日にやせ、食欲もなくなり、家事以外の時間は、横になる時間が多くなっていった。
当時小学2年生の俺にも、その変化ははっきりわかっていたはずなのに。

わかっていたが、何を言ってあげなくてはいけないのか、わからなかった。


入院後はただただ、母親は病と懸命に闘っていた。途中、体中の異常にも本当に参る程、苦しんだと聞く。

本当に、その時の母親の気持ちや、毎日の苦しみに耐えている様子を想像すると、胸が痛い。

手術は1度行われたが、開けど手の施しようがなく、お湯をかけて閉じただけとなった。

その後は抗癌剤に頼るしか他に方法はなく、それによる更なる苦しみに苛まれ、最後はモルヒネで
麻痺させ、何とか状態を鎮めようしようとしたが、今度はそれによる幻覚などに襲われていたそう。

書いていたら、辛くなってきたので、この辺にする。


今日、住職が語っていた話、

「一日一日を大切に生きてほしい、母親さんもそれを願っていると思います」

この言葉に救われるために、俺も一日一日を大切に生きよう。

そんなふうに思った1日でした。



2014年2月16日日曜日

ミュージカルを観に行った

とあるバス会社の再生物語を原作としたミュージカルを観に行った。
ミュージカルを生で見るのは初めてだったし、この物語自体には身近な繋がりが
あった訳で、すぐに展開に入り込むことができた。

この物語は、赤字一直線のバス会社が倒産寸前となったところで、社長の息子が帰郷して
会社を継ぐことを決心し、従業員からなめられ、バカにされながらも、会社を立ち直らせるべく
奮闘し、努力し、やがて収益を黒字にもっていくという、ノンフィクションにして随所にフィクションが
散りばめられた、涙あり、笑いあり、歌あり、踊りありといった様々な要素が盛り込まれた作品。

主人公は「社長の息子」なのだが、この人の人間性・真っ直ぐさには、自分の背中をビシッと叩かれるような、見習わなければならないところがたくさんある。

なんにも知らない、都会の表面的な空気だけを吸ってきた主人公は、その故郷に帰り、悪戦苦闘を繰り返し、本物の自分に出会う。そして、本物の仲間に出会う。

「俺はどうすればいいんだ」
「俺に何が出来るんだ」

自問自答する主人公。

「周りを変えるんじゃない、まずは自分が変わるんだ」
「自分を、人を、社員みんなを、愛するんだ」

シンプルなコード進行で作られた音楽でありながらも、随所で、重要なセリフと共に放たれる
その歌に、何度も目頭が熱くなった。

「出来ることから少しずつ」

自分もこの言葉を胸に、出来ることから少しずつやっていきたいと思う。