この春、TIME TO BECTLEは遂にニューアルバム「追葬」を売り出す。
アメリカのディストリビューターCDbabyさんにまたしてもお世話になる予定。
iTunes store、amazonMP3、facebookなどで販売されるのではないだろうか。
あぁ、そういえばまだジャケットデザインを決めていなかった。
今回はすでに公開している曲も含めて全14曲のラインナップ。
レコーディングの状況はこのブログの最下層あたりを読むとわかる。
思えばこのアルバムを着想し、レコーディングに取り掛かっていたあの時期は、
非常にエキサイティングな日々であったと思う。
ラブホテルで歌録りをやろうとしたり(結局やらなかったが)、そんな事を考えた時は、
本当に、頭が狂ってしまったかと思ったが、何とかここまでこぎ着けた。
誰にも教わらず、半ばひきこもりのような人生の中で、こんな曲たちに出会えてよかった。
こんな曲たちが、一人でもいい、誰かの耳に聴こえていたら、嬉しいよな。
曲は全般的に暗い。暗いからこそ、見つかる光がある。
曲が出来るたび、いつもそんな風に考えるようにしている。
その光が、誰かの生きる力になれればいいと思う。
2014年3月17日月曜日
2014年3月2日日曜日
あれから23年
母親の命日法要で、実家に帰る。
23年前の3月4日、42才の若さで旅立った母親のその当時の記憶が、まるで昨日起きた出来事のように、家族の各人から語られた。
おそらく誰も見ていないこのブログに、俺自身が忘れないように備忘録として記しておく。
3人目の俺を生んだ後から、腰が酷く痛み出し、原因不明の血圧異常に苦しめられていた。
その5年後、やっと検査を受けるに至るまで、俺たち家族に心配をかけさせまいと、いつも
気丈に振舞っていた。
だが、日に日にやせ、食欲もなくなり、家事以外の時間は、横になる時間が多くなっていった。
当時小学2年生の俺にも、その変化ははっきりわかっていたはずなのに。
わかっていたが、何を言ってあげなくてはいけないのか、わからなかった。
入院後はただただ、母親は病と懸命に闘っていた。途中、体中の異常にも本当に参る程、苦しんだと聞く。
本当に、その時の母親の気持ちや、毎日の苦しみに耐えている様子を想像すると、胸が痛い。
手術は1度行われたが、開けど手の施しようがなく、お湯をかけて閉じただけとなった。
その後は抗癌剤に頼るしか他に方法はなく、それによる更なる苦しみに苛まれ、最後はモルヒネで
麻痺させ、何とか状態を鎮めようしようとしたが、今度はそれによる幻覚などに襲われていたそう。
書いていたら、辛くなってきたので、この辺にする。
今日、住職が語っていた話、
「一日一日を大切に生きてほしい、母親さんもそれを願っていると思います」
この言葉に救われるために、俺も一日一日を大切に生きよう。
そんなふうに思った1日でした。
23年前の3月4日、42才の若さで旅立った母親のその当時の記憶が、まるで昨日起きた出来事のように、家族の各人から語られた。
おそらく誰も見ていないこのブログに、俺自身が忘れないように備忘録として記しておく。
3人目の俺を生んだ後から、腰が酷く痛み出し、原因不明の血圧異常に苦しめられていた。
その5年後、やっと検査を受けるに至るまで、俺たち家族に心配をかけさせまいと、いつも
気丈に振舞っていた。
だが、日に日にやせ、食欲もなくなり、家事以外の時間は、横になる時間が多くなっていった。
当時小学2年生の俺にも、その変化ははっきりわかっていたはずなのに。
わかっていたが、何を言ってあげなくてはいけないのか、わからなかった。
入院後はただただ、母親は病と懸命に闘っていた。途中、体中の異常にも本当に参る程、苦しんだと聞く。
本当に、その時の母親の気持ちや、毎日の苦しみに耐えている様子を想像すると、胸が痛い。
手術は1度行われたが、開けど手の施しようがなく、お湯をかけて閉じただけとなった。
その後は抗癌剤に頼るしか他に方法はなく、それによる更なる苦しみに苛まれ、最後はモルヒネで
麻痺させ、何とか状態を鎮めようしようとしたが、今度はそれによる幻覚などに襲われていたそう。
書いていたら、辛くなってきたので、この辺にする。
今日、住職が語っていた話、
「一日一日を大切に生きてほしい、母親さんもそれを願っていると思います」
この言葉に救われるために、俺も一日一日を大切に生きよう。
そんなふうに思った1日でした。
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